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電話発明の物語

 

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16
Dec

電話発明の物語

posted by 中川 | Category つぶやき

みなさんこんにちは!
今月もいよいよ折り返しですね。
一日一日、大切に過ごしていきましょう!
さて、今日12月16日の今日は"電話創業の日"にあたります。

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電話創業の日

今日12月16日は電話創業の日。
1890年(明治23年)の今日、東京・横浜間で、日本初の電話事業が開始しました。
加入電話は東京で155台、横浜で44台で、女子7人、夜間専門の男子2人の交換手が対応したということです。
電話の発達はめまぐるしく、現在の私たちは一人一台、携帯電話やスマートフォンを持つことがあたり目の世の中になっています。
人類の飽くなき探求心と想像力には目を見張るものがありますね。
今日はその電話創業日ということで、更にさかのぼって、電話が発明された時代のお話を紹介してみたいと思います。
そこにはある人物の生い立ちが非常に大きく影響しているのでした。


「おかあさん、僕の声が聞こえる?」

19世紀の半ばまで、遠隔地との通信手段といえば鳩が主流でした。
伝書鳩の文化にははすでにローマ時代からの歴史があります。
1850年、パウル・ロイターはドイツで金融情報を提供するサービスを始めましたが、その時はなんと40羽の鳩が頼りだったと言います。

しかし、翌年ドーヴァー海峡をまたいだ海底ケーブルが敷かれると、ロイターは情報の集中するロンドンに進出します。
モールスが開拓した電信技術を利用して、ロイター速報を流したのです。
ロイターより30歳ほど若いアレキサンダー・グラハム・ベルはエジンバラ生まれ。
ベルの偉業は彼の家計と生い立ち抜きには語ることができないでしょう。

彼の祖父は俳優で、弁舌家として名をはせた人物です。
威厳ある声が「説得力を生む」として発声法の専門家になります。
その2番目の息子メルヴィルも発声法の研究家でしたが、10歳年上のろうあ者エリザ=グレースと出会うと「言語障害」に猛然と取り組むようになりました。
この女性が、のちにベルを生むことになるのです。

結婚後、エリザはハンディを克服してピアニストになります。
耳の不自由な彼女のすさまじい努力と音への執念。
幼いベルはこの母親に深く影響をうけて育ちました。
彼は当時、ユニークな方法で母と会話したと言います。
彼女のおでこに口をくっつけながら低く良く通る声で語り掛けるのです。
「僕の声の振動がおかあさんに伝わっている・・・」そう直感したからでした。

ベルが23歳の時に一家はカナダへ移住します。
彼はボストンのろう学校で、父メルヴィルの開発した「視話法」を教えることになります。
しかし、世の中は電気通信の幕開けの時代です。
彼は、最初、複数の信号を同時に送る「ハーモニック・テレグラフ」に取り組みましたが、やがてアイデアを転換させていきます。
それは、音によって変化する空気の振動を電気信号に変えるというものでした。
これはまさに、幼い日々の体験が生んだアイデアだったのです。

1875年のある日、ベルの耳に人間の声らしきものが飛び込んできました。
それは隣の部屋の助手のつぶやきでした。
彼は、自分の直感が正しかったことを確信します。
翌年電話を完成させると、ベルカンパニー(今日のATT)を設立し、富と名声を一挙に手に入れます。
しかし、それでもベルは職業を問われると「ろう学校の教師です」と決まって答えたということです。

晩年のベルの元に、あらっぽくて乱暴な一人の少女が父親につられてきました。
ベルは、この少女は人とコミュニケーションできないいらだちを周囲にぶつけているのだと見抜きます。
彼女の名はヘレン=ケラー。
ベルは早速、人るの弱視の女性を紹介します。
それが、アン=サリバンでした。
もうあまりにも有名な彼女たちの苦闘の陰に、ベルの鋭い洞察力が働いていたことも忘れてはならない事実と言えそうです。

*****

自分の生まれ育った環境は、どんなものであろうと全て今に繋がるヒントです。
そして私たちの「思い」は、仕事をする上で何物にも代えがたい強く純粋なエネルギーになります。
新年を迎える前の大切なこの時期。
改めて、自分や職業について考えてみるのも良いかもしれませんね。

皆さんにとって、今週が有意義な時となりますように・・・

I wish you happiness!!
♪ 中川

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